「田んぼ」は生きるエネルギーを生み出す装置

2020/04/25

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Vol.01 『米と味噌さえあれば人は生きていける』 
初めてこの言葉を聞いたのは、まだ幼かったころ。私は小学校入学から5年生までの丸5年間、福井県の山奥にある絵に描いたようなド田舎で育ちました。

田んぼと枝豆

家の前には小川が流れ、一面に田んぼが広がり、あぜ道には枝豆が植えられていました。夏には田んぼの上をホタルが舞い、里山にはカブトムシやクワガタもたくさん!夏休みになると朝から陽が暮れるまで、外で遊んでいました。このド田舎での夏の思い出が私の原風景です。

原風景が甦る

小学校6年生になる直前、父の仕事の都合で東京に引っ越すことになり、それ以来、数十年、東京暮らしを続けることになった私にとって、その原風景は長くただの懐かしい思い出でした。ある時、テレビで「DASH村」を見て、「やってみたい!」と思いましたが、それでも数年はテレビを見るだけ。2011年、東日本大震災でDASH村も突然、休止となってしまいます。
そんななか会社の同僚から、「池袋に“たまつき”という変なバーがある」と聞かされ、そこのマスターが書いた『減速して生きる~ダウンシフターズ』という本を読みました。そこには同じく『米と味噌さえあれば、人は生きていける』と書かれていて原風景が甦りました。あぜ道に枝豆が植えられていたことを思い出し、「人は田んぼがあればなんとかやっていけるのだ」と、強く意識するようになりました。ようやく重い腰をあげ、2013年ごろ、まずは田んぼ探しを始めます。知り合いの実家が農家をやっていることがわかりました。でも田んぼは1人ではできません。仲間を探さなければ。でもこれが意外にも声をかけたほとんど人から「やってみたい」という返事が!私と同じ50代はもちろんですが、なぜか20代、30代の若い人たちからも賛同の声。2008年にリーマンショックがあり、お金がお金を生むマネーゲームに疑問を感じた人が増えました。まだ冷めやらぬうち2011年には大震災。あのあまりにも悲惨な震災を何度も映像で見せつけられ、追い討ちをかけるように起きた原発事故は、環境問題や幸せとか、生き方とか考えさせられました。2013年はそれら2つがまだまだ心の内に残っていた時期だったからではないかと思います。

『生きるエネルギーを生み出す装置』

こうしてとんとん拍子に始まった田んぼ。農家さんにほとんど助けてもらいながら、苗をつくったり、田植えや稲刈りをさせていただきました。どれも機械は一切、使わず、みんな手でやります。だからこそ収穫した米の美味さは格別!さらに、その農家さんの本業は野菜づくり。大豆も育て、毎年、味噌を作っていました。その仕込みもやらせていただき、翌年にはついに念願の手づくり味噌をゲット!8割くらいは農家さんにお膳立てしていただいていますが、曲がりなりにも「米と味噌を自給する体験」ができました。そこでわかったのは、田んぼは人工のものでありながら、生態系に組み込まれた巨大な装置であること。田植えをしていると自分もその生態系に仲間入りしたような気がしてきます。田んぼは、『生きるエネルギーを生み出す装置』なのです。
2020年、新型コロナ感染症が世界中で猛威をふるっています。これでまた人々の考え方や行動が大きく変わる。これは田んぼをめぐるさまざまなことを「再定義」するチャンスではないか?と考えています。



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