「田んぼ」 は生きるエネルギーを生み出す装置

2020/06/05

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Vol.02 
『田んぼを、サードプレイスに』 
いつもの年なら、ちょうど田植えのころ。でも残念ながら、今年は田んぼに行くことができませんでした。外出自粛も重なり、田んぼがないというのは、さみしいものだとあらためて実感しています。

自分が自然の一部になる安心感

最初に田んぼをいじらせていただいた農家さんは、歳をとり身体も思うように動かなくなってきた、という理由で一昨年、田んぼをやめてしまいました。1年、田んぼに入れない年が続いたあと、地元の40代くらいの方を紹介していただき、昨年はその方の田んぼにお世話になっていました。今年もと考えていた矢先にコロナ、今年も「田んぼ浪人」です。自分で育てた米を手にすることができない、つらいです。

田植えをしていると肉体的にはきついのですが、いつの間にか没頭してしまい植えること以外、何も考えていない自分に気づきます。で、ふと振り返ると、まっすぐ植えていたはずがずいぶん曲がっていたり、ということも。また、ときおり「♪ホーホケキョ!」と鳴くウグイスの声が聴こえたりすると、自分も生態系の中に入り込み、自然の一部になってしまったような気分になってきます。もし、自分自身で自分と家族の分のお米が収穫できて、自分自身であぜ道に植えた大豆で味噌がつくれたら?『米と味噌さえあれば、人は生きていける』のなら、最低限かもしれないけれど生きていける保証が得られます。仕事で思わず「ケッ!」と言いたくなるようなストレスを感じても、自分には米と味噌があるから、と思えれば、ストレスもずいぶん軽くなりませんか?しかも、実は自家用程度の米を育てるのであれば、2週間に1回程度、世話をすれば、きちんと収穫できます。

農業はつらいよ!

稲作であろうと、野菜や果樹であろうと、基本的に農業というものは肉体労働。農閑期はありますが、旬の時期を迎えれば、収穫に稲刈りに寝る暇もないほどの忙しさ。自然が相手だけに待ってもらえません。また等級が付けられるような販売できるお米を作るには2週間に1回などとは言ってられません。それに豊作はうれしいけど価格が下がったり、不作なら十分に売り物を用意できず、収入が保証されているものでもありません。農協は、できた作物は基本、すべて買い取ってはくれますが、規格外となれば引き取ってはもらえません。こうして廃棄される農作物は毎年、15%近くになっているといわれています(農林水産省平成29年産野菜(41品目)の作付面積、収穫量及び出荷量より)。また、国税局令和元年度の民間給与調査では、農業は全業種の中で下から2番目。平均して300万円あまりの年収となっています。実際には金額よりずっと豊かな生活ができるのですが、数字からは農業を本業として暮らしていくことが魅力的にみえないのです。このことが跡継ぎがいない、さらには跡を継がせたくない、という状況を生みだします。こうして農家さんの高齢化が進み、全国で休耕田や耕作放棄地が増えていきます。

田んぼを「サードプレイス」に

自宅でも会社でもないサードプレイスを!というのは、某カフェチェーンのビジョンですが、私は田んぼをサードプレイスにすることを推進したいです。クルマで1時間くらいのところに田んぼと少し休める家を借りられれば、耕作放棄地問題と空き家問題が解決できると考えています。田んぼのそばでテレワークもできるようになれば飛躍的に選択肢も増えます。ニューノーマルが田んぼも空き家も働き方改革も一気に解決!といきたいところですが、そこにはいくつもの課題が待っています。

次回以降、課題と解決策についてお話していきます。



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