最近、「資本主義は終焉を迎えた」といった話をよく聞くようになりました。従来のビジネスもその役目を終えたといった論調も見聞きします。
資本主義の終焉は3度目
資本主義が終焉を迎えたという言説を聞くのは、いまが初めてではありません。ここ十数年で私が記憶しているものだけでも2回、ありました。1回目は2008~2009年にかけてのリーマンショック、そして2回目は2011年の東日本大震災のときです。リーマンブラザーズの社員たちは年収30万ドルを稼ぐ超エリートでしたが、金が金を生むマネーゲームに狂奔し家族や趣味も忘れて働きづめという生活で得た給料です。バブルが弾けると、給料なんて1/10になってもいい、社会や人の役に立つ仕事をし、家族との時間を大切にしたいとウォール街を去っていきました。
東日本大震災は別の意味で考えさせられました。何十年、何世代もの間、積み重ねてきたものが、多くの命とともに一瞬で津波に流されていく。そのようすを私は繰り返しテレビで見ていました。さらに追い打ちをかけるように起きた原発事故。なぜ日本は再生可能エネルギーへと舵を切らないのだろう。個人でも寄付をしたものの限界があり、会社として何かできないのかとみんなで動いていました。そんなときに「利益が前年比で、、」なんて話はほとんど耳に入ってきませんでした。
そして、今回が3度目です。ただ原因はコロナではありません。私はリーマンショックと東日本大震災の記憶が、地中深くマグマのように膨大なエネルギーをため込んでいたところに、「SDGsやESG経営への関心の高まり」が結びつき、「ニューノーマル」がどういう世界になるのか、たくさんの人が考え始めたことが、資本主義の終焉といった言説につながったのだと感じています。コロナはマグマが噴き出す火口を開いてくれたのです。
金余りと使い道
私はまだ資本主義が終わったとまでは思いませんが、大きなほころびが見えているのは確かですし、大規模に修正する必要があるとも考えています。
ひと昔前の経済学では、政府、企業、家計(個人)という3つのセクターと、それらの間でお金を循環させる金融セクターがあり、家計は常に資金余剰、企業は資金不足となっていて、うまく金を回すために家計は銀行に貯金をするか、証券会社から株を買うかどちらかの手段で企業に資金を供給するという姿が前提とされていました。日本はバブル崩壊後、20年以上もおかしな経済状況でしたが、いまはお金があり余り、力のある企業はもちろん、おもしろいアイデアを持っていればスタートアップでも、「出資させてくれ」「お金を借りてくれ」という状況になっています。どこかで新規事業の立ち上げや、創業するためのお金を集める行為(=資本主義)は必要ですが、お金自体は大企業や金融セクターで余剰となり、その使い道に困っているのです。そもそも資本があっても投資意欲がありません。内部留保が膨れ上がっていくばかりです。
私は投資家「ベーシック・インベストメント」
少しばかりですが私は投資信託を持っています。投資信託は運用会社に投資先の選定を任せる受動的な投資ですが、それでも「私は投資家」という自覚が芽生えます。いまはすべての家計が投資家になるべき時代だといえます。「ベーシック・インカム」より「ベーシック・インベストメント」です。使い道に困るお金を原資にして、投資信託として年収の低い世帯(家計)に配りましょう。実際には配当を受け取る権利と投資信託を売る権利を与え、原資を出した企業は配当と値上がり益を享受できるよう経営に励むようにするのです。
これまで投資先には十分な配当や株価が上がるくらいの業績、会社として長く存続していける程度の利益水準を求めてきましたが、いま求めるものが大きく変わろうとしています。求めるものを変え、投資先の選別基準を変えれば、低成長でも高度な満足感が得られる社会を生み出せると思います。この投資で社会課題を解決する仕組みを作れるはずです。ベーシック・インベストメントの投資信託は年金を運用するGPIFに管理を任せ、ESG投資を行うのです。数年前まではESG投資はインデックス投資よりも利回りが低かったのですが、ようやく投資に値する利回りになってきました。ESG経営を標榜する企業はESGに配慮しながら会社が継続するのに十分な利益を上げなければなりません。経営のサステナビリティ(持続可能性)が何より求められるからです。やがてはインデックスを構成するすべての企業を、ESG経営を標榜する企業に入れ替える圧力がはたらき、ベーシック・インベストメントも最終的にはインデックス投資にすればよいと思います。
『企業は社会の公器である』という松下幸之助氏の言葉はよくご存知と思います。「会社はだれのものか」を考えることで、新しい資本主義、ニューノーマルな資本主義が見えてきます。
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